見た夢の日記。

自由きまま。日常から非日常まで幅広く渡り歩く。

アイドルって。

「意外だねぇ、アイドルヲタだと

思ってたのに」

 

結構無慈悲なことを言われた気がする。

 

事は単純にどのアイドルが好きか、と

問われただけで、私としては

アイドルそのものに興味はないと

返しただけなのだが。

 

そもそもアイドルとはなんなのか?

いやそんな議論を始めても仕方ない。

 

いわゆる芸能人の一種であるということは

明白なのだから。

 

それにアイドルについて話したいわけでも、

日記に留めておきたいわけでもない。

 

強いていうなら、私がアイドルに

興味がないことについての書留だろうか。

 

結局はアイドルについて

持論を持ち出すことになるが。

 

私がアイドルに興味ないのは

そもそも「アイドル」というのは

擬似恋愛を売っているものである。

 

アイドルの歌の大体は恋愛について

歌っており、更には「君が」とか

そういう代名詞を用いて(もっといえば

聞いている一個人を対象に)まるで

「あなたが好きなの」と思い込ませるように

できている。

 

無論例外もある。固有名詞だったり、

そもそも恋愛についての歌ではなかったり

した場合がそれだ。

 

しかし例外の話は関係ない、とまで

いかないがここではやめておこう、

私の持論でいうならば

どうでもいいことなので。

 

それからAKB48、また姉妹グルーブなども

似たような売り方である。

(というかAKB48って48人超えてるし

いつになったら改名するんだろうか)

 

この手のアイドルは

「数多くの女の子の中から

好みの子を選ぶ」ことができるのが売りだ。

(総選挙とはこれまた酷なことをとも思う)

つまるところ、グループの中の1人と

自分が付き合っているような錯覚(?)も

できるわけである。

 

そのおかげで売れているわけなので。

 

こういったところがある、というか

私は元々甘ったるい声で恋愛について

あれこれ歌われたところで何も響かないので

興味がない。

 

なのでアニソンも然り、なのである。

(声優ソングとかキャラソンとか)

 

あと、たまにアイドルヲタと

アニヲタがお互いを貶し合うこともあるが

私からしたら単純に2次元か3次元かの

違いのみであり結局のところハマり方は

同じなので似たもの同士の同族嫌悪に

思えてしかたない。

 

 

 

 

 

鳴る。

冷たい音が響く。

 

冷たいのに暖かな気持ちになる、

とても不思議な音だ。

 

その無機質な音が少しばかり

にゃあ、という有機的な音にかき消される。

 

音が鳴る、その箱に興味津々といった

黒猫は箱と私を交互に見る。

 

私はやんわり微笑んでやった。

猫は何か感じ取ったようで

擦り寄ってくる。

 

暖かい体温と、ちょっと鼻をくすぐる

獣の臭い。そのどちらもが

この猫が「生きている」ことを

示していた。

 

擦り寄ってくるその小さな

頭蓋骨をそっと撫でてやった。

 

ごろごろと喉を鳴らし、

更にじゃれついてくるようになる。

 

私はふと立ち上がり、

先程から音を鳴らすゼンマイ仕掛けの

箱を見下ろしてみる。

 

美しい木目、暖かな色合い。

しかしながら、響かせているのは

鉄が反発する音ばかりだ。

 

ロマン的で美しく、心に響く

その鉄の歌声は、私の心の

空虚さを埋めているように思う。

 

だから、蹴り飛ばした。

 

ガタガタと音をたて

遠くへ転がる小さな箱は、

どういうわけかやがて見えなくなった。

 

そして再び静寂が当たりを包む。

 

「私は歌えない。鉄でも歌えるのに、

私は、何も歌えない。」

 

この静寂を、あの美しく

暖かな気持ちにさせる音のようには。

 

決して歌えないだろうと、

しばし考え込んでいた。

 

ふと気がつくと、先ほどの

黒猫が目の前にいた。

 

「…よしよし、遊んでほしいか」

 

この時私は気づかなかったが、

実は歌を歌っていた。

 

1人と1匹の会話という歌声を

鳴らしていたのだ。

見た夢の日記。

あの日見た夢を、あなたは思い出せる?

 

あの日っていつ?それはわからない。

 

それに、将来の夢。

眠りに就いた時に見る夢。

 

そのどちらの事を聞いているかも

わからない。

 

もしあなたが、将来の夢のことと

思ったら。

 

きっとあなたにとって、

「夢」というのは

遠い日の思い出、もしくは

目指すところの終着点なのかもしれない。

 

では、寝ている間に見る夢を

思い浮かべたら?

 

もしかしたら、私と似た感性を

持っているのかもしれない。

 

きっと、現実逃避をしたいか、

空想の「夢」こそがあなたの

終着点なのかもしれない。

 

結局は、夢なんて曖昧で

不定形なものだと私は思う。

 

何も知らないから、

何にも縛られないからこそ。

 

「夢」は見ることができるのだと思う。

 

「夢」は紛うことなき

自由の象徴なのだろう。

 

なので私は、書く事にした。

これは私が見た、「夢」の日記

であるのかもしれない。